Dois pontos na Liderança

Percebo dois pontos importantes que o líder deve se ater. A Bíblia nos mostra como é importante reconhecermos nossos líderes e o honrarmos pela posição que eles estão.  Hb 13:17: “Obedeçam aos seus líderes e submetam-se à autoridade deles. Eles cuidam de vocês como quem deve prestar contas. Obedeçam-lhes, para Read more…

私はキリストの体の一員だから全ての教会に通ってもいい?

私は山梨県に住んでいた時、ある姉妹が私と同じ教会に通っていましたが、その姉妹にはとても興味深い習慣がありました。同じ日曜日に少なくとも二つの違う教会に行く習慣でした。最初、問題はないだろうと思いました。それは、私たちがみなキリストにあって神様の家族ですし、兄弟姉妹が交わりを持つことに何も悪いことがないと思ったからです。しかし、時間が経つと、その姉妹は教会の皆との関係が気まずくなり、牧師は結局、姉妹と話をし、実際にどの教会に通うのかを尋ねたところ、その姉妹は、「自分がキリストの体の一員なので、教会は一つ」と答え、さらに、「どの教会に行っても大丈夫でしょう」と牧師に言い返しました。 確かにその姉妹が言ったことには間違いがないように聞こえますが、私は聖書の教えに合わないと思いました。また、問題は、多くのクリスチャンがその姉妹と同じ思考を持っていることにも気付きました。そして、特に未熟なクリスチャンにはそこに罠があります。 私はまだ若いクリスチャンであった時に、多くの教会に訪問する習慣がありました。別にそれは悪いことだと今も思っていませんが、ある時期、私は二つの教会に同時に通うようになったこともありました。一つは地域教会として、日曜日に通っていましたが、若い人たちと交流するために、また別の教会に通い始めました。 その過去の習慣に関して、現在の理解で意見を出すとしたら、私から確かめられることは一つです。それは私がその当時まだ霊的に未熟だったことです。さらに、あの段階では私を模範として扱うことができなかったと思います。 結論からいうと、クリスチャンが様々な教会に行きたいと思っている理由はいくつかあります。 まず、自分自身が教会に対して責任を持ちたくないことです。 一つの教会に通うとなると、その教会に忠実に奉仕したり、指導者に報告したりする必要があることに気づき、それらを避けるために、距離を置き、同時に他の教会に通うようにし、好きなところだけを楽しんで、何も責任感を抱かないようにしています。 要するに、子供の段階に留まっていたいということです。 しかし、福音書を少しでも読んでいるなら、そういう態度は神様にどれだけ好まないのかが分かります(参考:マタイ25章14~30節)なぜなら、神様が望んでいるのは、全ての信者が成長し、キリストの体に貢献ができるようになることだからです。つまり、私たちが実を結ぶことです(参考:ヨハネ15章1〜8節)しかしながら、同時に様々な教会に通う人は奉仕することが面倒だと思い、実を結ばない道を選んでいます。 また、もう一つの問題は牧師に服従することです。 様々な教会に通っているクリスチャンの多くは、服従に関する悩みがあります。確かに服従することは挑戦的ですが、神様の御心です。また、神様の命令は重荷ではないと聖書に書いてあるので、(第一ヨハネ5章3,4節)まず、全ての信者が理解しなければならないのは、牧師がキリストによって立てられた聖職者であり、その牧師の年代や性格や国籍や教育などに関係なく、イエスキリストに遣わされた人であれば、その牧師に服従することはイエスキリストに服従すると同じだということです。 ヨハネ 13:20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。 なので、牧師に反抗することは神様に反抗することなので、気を付ける必要があります。そして、神様は、牧師も人間なので、完璧ではなく、失敗する者だと分かっていますが、それでもあなたの牧師は神様に選ばれた者であり、あなたが通っている教会に責任があります。 へブル 13:17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。 牧師に正され、教えを受けることは良いことです。しかし、肉体的な習慣を捨てたくない人は矯正を軽蔑し、それを拒むでしょう。なのでパウロはそういう人について警戒しなさいと命じました。 ローマ 16:17-18 兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。 最後に、山梨県の姉妹の発言に関して、どこが正しくないのを一緒に考えたいです。 事実、姉妹の言ったことは半分が真実でした。しかし、残りの半分を捨てたら、罠に陥ってしまう可能性があります。 まず、一緒に考えてほしいのは、新約聖書でいう教会です。なぜなら、教会には二つの適用があるからです。一つは、姉妹が言ったようにキリストの体である教会です。確かに、私たちはみなその体に属し、同じ神様の家族の一員であり、互いに協力し合っています。その教会を全体教会と呼びます。しかしながら、黙示録2章と3章を見ると、イエス様が地域教会の存在を認めていることが分かります。 黙示録 2:1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。 黙示録 2:8 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。 黙示録 2:12 また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。 黙示録 2:18 また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。 黙示録 3:1 また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。 黙示録 3:7 また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。 黙示録 3:14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。 上の聖書箇所の他に興味深いことがあります。それぞれの地域教会に御使いがいることです。御使いとは、原本でAngelosという言葉です。それは、メッセージを伝える者という意味です。もちろん、それは地域教会の牧師のことを指しています。 黙示録にイエス様はそれぞれの地域教会の牧師にメッセージを送っており、イエス様も牧師をその教会の任命されたリーダーとして認識していることが分かります。なので、私が理解してほしいのは、地域教会はイエス様の立てられた組織であり、それぞれの地域教会の牧師もイエス様から遣わされた教会の責任者だということです。 なので、自分の地域教会を尊重し、大切にすることを励ましたいです。また、イエス様を奉仕するように、自分の牧師、また、自分の教会のビジョンに心から奉仕するようにお願いします。そうすることによって、あなたはキリストの体の成長に貢献しており、その奉仕によってあなたは神様に評価され、報われるからです。一つの教会に通わなくていい罠に陥らないように気を付けてください。